結婚記念日に本州最南端串本へ その1 [旅行]
1月18日は私共の〇〇回結婚記念日、大寒に近いこの日 少しでも暖かいところと思って
本州最南端の串本町に行ってきました。
我が家の庭先のように行慣れた県内の観光地、何度も行っているので朝はゆっくり出発
し一昨年開通した すさみ南IC まで高速道路を快適にドライブ。そこから最南端串本町
までは一般国道、枯れ木灘の絶景を眺めながら潮岬に到着、お天気は快晴で暖かく上着
を脱いで草原を散策、芝生に寝転がって最高の気分でした。
本州最南端の串本町に行ってきました。
我が家の庭先のように行慣れた県内の観光地、何度も行っているので朝はゆっくり出発
し一昨年開通した すさみ南IC まで高速道路を快適にドライブ。そこから最南端串本町
までは一般国道、枯れ木灘の絶景を眺めながら潮岬に到着、お天気は快晴で暖かく上着
を脱いで草原を散策、芝生に寝転がって最高の気分でした。
そこからは串本大橋により陸続きとなっている紀伊大島に渡り、美味しい海鮮料理を食
べさせてくれる樫野漁港のレストランに向かいましたが生憎木曜日は定休日、諦めて樫
野崎駐車場前にただ一軒ある軽食喫茶店でサンドイツチで昼食、ちょっとあて外れの昼
食となりました。
べさせてくれる樫野漁港のレストランに向かいましたが生憎木曜日は定休日、諦めて樫
野崎駐車場前にただ一軒ある軽食喫茶店でサンドイツチで昼食、ちょっとあて外れの昼
食となりました。
その後はトルコ軍艦遭難慰霊碑やトルコ記念館、トルコの絨毯や民芸品の店が並ぶエル
トゥ-ルル通りを歩いて樫野崎灯台まで散策しました。ここに行くとトルコ軍艦エルト
ゥ-ルル号が1890年日本を親善訪問した帰り、台風に遭遇し、この樫野崎沖で遭難 荒
れ狂う岩場から大島の人達が必死で69名を救助しましたが587名の方が亡くなりました
。これが縁となって慰霊碑や記念館が建てられ、一昨年には「海難1890」として映画化
もされましたのでご存知の方も多いと思います。この慰霊碑では毎年9月16日に慰霊
祭が、5年に1度はトルコの方々も来日参加して大規模な慰霊祭が行われています。最
近の大祭は平成28年9月16日でした。
トゥ-ルル通りを歩いて樫野崎灯台まで散策しました。ここに行くとトルコ軍艦エルト
ゥ-ルル号が1890年日本を親善訪問した帰り、台風に遭遇し、この樫野崎沖で遭難 荒
れ狂う岩場から大島の人達が必死で69名を救助しましたが587名の方が亡くなりました
。これが縁となって慰霊碑や記念館が建てられ、一昨年には「海難1890」として映画化
もされましたのでご存知の方も多いと思います。この慰霊碑では毎年9月16日に慰霊
祭が、5年に1度はトルコの方々も来日参加して大規模な慰霊祭が行われています。最
近の大祭は平成28年9月16日でした。
樫野崎灯台は日本の灯台の父と言われるイギリス人技師が日本で最初に設計し、明治3
年6月に初点灯した石造りの灯台で、イギリス人技師が植えたとされる水仙が今も灯台
の周囲に花を一杯咲かせています。
年6月に初点灯した石造りの灯台で、イギリス人技師が植えたとされる水仙が今も灯台
の周囲に花を一杯咲かせています。
このあと岩場の絶景 海金剛に立ち寄り、紀伊大島に別れを告げ橋杭岩を経由この日の宿
泊ホテルに向かいました。
泊ホテルに向かいました。
↑ すさみ南ICから串本までの枯れ木灘海岸
↑ 本州最南端潮岬灯台
↑ 潮岬望楼前の草原
↑ 本土と紀伊大島を結ぶ串本大橋
↑ 煉瓦舗装されたエルツールル通り
↑ トルコ記念館
↑ トルコ軍艦遭難慰霊碑
↑ トルコ絨毯のお店
↑ 樫野崎灯台と水仙
↑ 樫野崎灯台からの眺め、太平洋
↑ 伊豆大島同様紀伊大島にも椿が沢山 ↑
↑ 桜が開花 ↑ 桜の蕾み
この続きは1月25日、結婚記念日に本州最南端串本へ その2に続きます。